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仙都観光地

国家の第1陣の4 A級の観光区/国家級風景名勝区/全国重点文物保護単位/
全国の映画とテレビの指定撮影景に/国家地質公園

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  • 朱潭山

    朱淵山。渓流を隔てて板堰村に向かい合っています。南宋淳熙七年(1180)の時、著名理学家朱熹が仙都で講習したことがあって、暇な時はよくここで散策して、淵でボートを漕ぎ、山で休憩したことがあるので、後人はこの淵を朱淵と命名し、淵の傍らにある山を朱淵山に命名しました。淵周りの堤防は卵円形の石で敷かれて、柳がゆらゆら揺れて、長橋が淵を跨っています。ここでウェディング写真を撮る恋人が多くて、鼎湖峰に天長地久の愛情を見守ってくれる意味があるから、ここの堤防が仙堤とも呼ばれています。堤防には峰望亭があって、鼎湖峰の倒影を撮る最良の位置で、有名な写真家呉品禾先生が国際撮影大賞を貰った作品『仙境』がここで撮ったのです。
  • 小赤壁

      小赤壁。昔は「白岩」とも呼ばれて、下洋村の渓流に面したところは険しい絶壁で、東西約650メートルにわたり、高さ約60メートルあり、赤白縞模様の壁面は遠くから炎に焼かれたように見える。それは長江の赤壁に似ていて、規模も小さいので小赤壁の名がつきました。壁面には印海(明代県知事である龚庭宾)の揮毫した「小赤壁」の題刻があります。もともと山体は北東方向に亀裂が走り、浸食や風化により岩肌が削られ断面が露出して今の絶壁の奇観を形成しました。
  • 鼎湖峰

      鼎湖峰。又独峰、丹峰とも呼ばれ、俗に石筍と言います。東は步虚山に、西は練渓に向かって、底部面積が2468平方メートル、頂部面積が710平方メートル、高さが170.8メートルで、高く聳えて力の強さが表しました。一亿六千万年前に火山噴火により積み重なった流紋岩台地で、外力作用によって形成された柱峰奇観ですので、「天下第一峰」と称賛されました。伝説によると、黄帝が峰の頂上に鼎を置き丹薬を練り、成功した後、龍に乗って昇天したそうです。山頂には松と柏の木々、丹鼎が凹んで出来た湖があり、泉水は綺麗で、一年中涸れることはないので、鼎湖の名がつき、鼎湖峰も同じ理由で名がついたのです。
  • 仙都観

      仙都観。かつて趙侯祠、趙侯廟、烏傷侯廟とも呼ばれ、趙炳を祭る廟で、縉雲で文字記載のある一番古い祠廟建築です。趙炳は字が公阿で、東陽の出身で、後漢時の医術に長けた人物でした。趙炳が仙都に来たとき、戦役があり、疫病が流行していた。そこで疫病の治療を助け、沢山の人を救いました。現地の人々はその恩徳に感動し、祠堂を建て趙氏を祀りました。当時、縉雲仙都あたりは烏傷県の管轄で、そこで朝廷は趙炳を大将軍及び烏傷侯に封じました。「道士下山」「飛刀又見飛刀」「射鵰英雄伝」等の映画やテレビドラマはここで撮影したことがあります。
  • 倪翁洞

      倪翁洞。初暘山の山腹にある岩洞、原岩坂は風化しやすい溶岩が好渓の水に浸食され、大小の穴を作り出し、さらに地殻変動により今の状態が形成されました。言い伝えでは範蠡の先生である倪子が越国を助けて呉国を滅した後、俗世を疎み、ここで隠居したという、そこから命名されました。明代の邑人御史樊献科、刑部尚書李志がここで読書したことがあり、今は歴代の摩崖石刻60箇所があって、書体が揃って、書道が素敵で、全国重要保護文化財である仙都摩崖題記の精華と言え、篆書体の書聖李陽氷の「倪翁洞」石刻はもっとも珍品です。